東京地方裁判所 昭和54年(ワ)11242号 判決 1984年6月25日
原告 甲野太郎
被告 国
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金四〇七三万円及びこれに対する昭和五四年一一月二二日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 担保を条件とする仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 再審(無罪)判決確定に至るまでの経緯
(一) 原告は、昭和二七年二月二五日夜、青森県東津軽郡高田村大字小舘字桜苅一六四番地川村すな方において発生した被害者川村すなに対する強姦・強盗殺人被疑事件につき、同年三月二日、被疑者として逮捕され、同月四日、勾留された後、身柄拘束のまま同月二三日、青森地方検察庁検察官により強姦致死・殺人の罪で青森地方裁判所に公訴提起され、同年一二月五日、同裁判所において強姦致死罪により懲役一〇年に処する(殺人の点につき無罪。)旨の判決を言い渡された(この判決をした裁判所の審理及び判決の全体を以下「原一審」という。)。そこで、原告において右有罪判決に対し控訴したが、昭和二八年八月二二日、仙台高等裁判所において控訴棄却の判決が言い渡され(この判決をした裁判所の審理及び判決の全体を以下「原二審」という。)、右判決は同年九月五日の経過をもつて確定した。
(二) 原告は、前記逮捕、勾留による身柄拘束に引き続き昭和二八年九月六日から懲役刑の受執行として宮城刑務所に服役し、同年一一月二一日、秋田刑務所に移監され、昭和三三年二月一八日、仮出獄により同刑務所から釈放された(刑期終了は昭和三七年七月一六日)。
(三) 一方、東京地方検察庁検察官は、長内芳春をいわゆる真犯人として、同人につき昭和四二年二月二三日川村すなに対する強盗殺人・強盗強姦未遂の罪で東京地方裁判所に公訴提起したが、同裁判所は、昭和四三年七月二日、右芳春に対し無罪の判決を言い渡した(この判決をした裁判所の審理及び裁判の全体を以下「別件一審」という。)ので、検察官が東京高等裁判所に控訴したところ、右芳春は控訴審継続中である昭和四五年五月五日、自殺したため、公訴棄却の決定がなされた(この決定をした裁判所の審理及び裁判の全体を以下「別件二審」という。)。
(四) そこで原告は、昭和四二年八月二五日、青森地方裁判所に原一審判決に対する再審の請求をしたが、昭和四八年三月三〇日再審請求棄却の決定がなされ(この決定をした裁判所の審理及び裁判の全体を以下「再審請求一審」という。)、即時抗告の結果、仙台高等裁判所は昭和五一年一〇月三〇日、再審開始の決定をなし(この決定をした裁判所の審理及び裁判の全体を以下「再審請求二審」という。)、この決定の確定により青森地方裁判所は再審の審理の末、昭和五三年七月三一日、原告に対し無罪の判決を言い渡し(この判決をした裁判所の審理及び裁判の全体を以下「本件再審」という。)、該判決は同年八月一四日の経過により確定した。
2 被告の責任
(一) 原告が、いわゆる無実であるにもかかわらず、前記1記載のとおり逮捕・勾留され、公訴を提起されて有罪の確定判決を受け、刑の執行を受けたことにより後記損害を被つたのは、次のとおり、被告の公権力を行使する公務員である警察官、検察官、鑑定人及び裁判官の過失による。
(二) 逮捕の違法性
(1) 前記被疑事件の捜査を担当した国家地方警察青森県本部青森地区警察署警察官は、昭和二七年三月一日、原告につき川村すなに対する強姦・強盗・殺人の被疑事実で逮捕状を請求し、同日その発布を得て、同月二日、原告を右逮捕状により逮捕した(以下「本件逮捕」という。)。
(2) 本件逮捕は、右担当警察官において、原告が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由を認める程度の客観的資料が存しないことを知りながら、故意に又は誤つてこれあるものと判断した過失に基づいてなされたものであつて、違法な逮捕である。
すなわち、本件逮捕当時存した主要な資料は、犯人が現場に遺留したと思料される折鶴模様の日本手拭(以下「本件日本手拭」という。)、長内義昭の司法警察員に対する昭和二七年二月二七日付供述調書(以下「二七・二・二七付義昭調書」という。)及び国家地方警察青森県本部青森地区警察署巡査部長梅木良男(以下「梅木巡査部長」という。)作成の昭和二七年三月一日付捜査報告書(以下「二七・三・一付梅木報告書」という。)の三つである。ところで、二七・二・二七付義昭調書は、本件日本手拭について、原告が所有し普段使用している日本手拭と同一のものである旨の供述を内容とするものであるところ、該調書は、取調にあたつた警察官が当時一六歳であつた長内義昭を昭和二七年二月二六日午後四時ころから翌二七日午後一一時ころまで一昼夜以上にわたつて令状に基づかずしてその身柄を拘束し、原告が犯人であるとの見込に従つて追及した結果得た供述を録取したものであつて、違法収集証拠として逮捕状請求の資料として使用することは許されないものであり、その供述の信用性も認められないものである。さらに、右捜査担当警察官は、同年三月一日には、川村すなの遺族である川村芳男から本件日本手拭と同種の日本手拭が右すなの遺品の中から発見されたとの供述を得ており(その調書を作成したのは同月一〇日。)、前記逮捕状請求時には、本件日本手拭が右すなの所持品であつて、原告と本件犯行とを結びつけるものではないことが判明していた。また二七・三・一付梅木報告書は、(イ) 原告は、川村すな方の風呂場を修理するなど二回にわたり右すな方に出入したことがあること、(ロ) 原告の妻花子は結核性脊椎炎に罹患していて性交不能の状態であること、(ハ) 原告は定職なく、生活費にも窮していたこと、(ニ) 原告は、昭和二七年二月二五日午後五時ころ、長内石蔵方で飲酒し、同日午後六時ころ、右すな方近くの里村商店でたばこを買つた後の足取が不明であること等を内容とするものであるところ、これらの事実は、原告と被疑事実を結びつけるものではなく、これ自体原告を逮捕するための資料とはなし得ないばかりか、原告と妻との夫婦関係についての記載は単なる風評にすぎない。
以上のとおり、担当警察官は、本件逮捕をした当時、原告と被疑事実を結びつける客観的資料は存せず、却つて唯一の物証と考えられていた本件日本手拭が、川村すなの所持品であつて、原告とは無関係であることの証拠を入手したのにこれを秘して、前記相当な理由を認める程度の客観的資料のないことを知りながら、自白強要の目的で、又は誤つて右程度の客観的資料があるものと判断して、本件逮捕をした。
(三) 勾留の違法性
(1) 本件逮捕後、原告の身柄とともに前記被疑事件の送致を受けた青森地方検察庁検察官検事渡辺彦一(以下「渡辺検事」という。)は、昭和二七年三月四日前記被疑事実により勾留請求をなし、青森地方裁判所裁判官による同日付勾留状を執行して原告を勾留し、同月一三日勾留延長、同月二三日の公訴提起から原二審判決確定時まで勾留が継続更新された(以上一連の勾留を以下「本件勾留」という。)。
(2) 本件勾留は、原告が罪を犯したと疑うに足りる相当な理由がないので、各違法となる逮捕、取調、公訴提起並びにその後の審理手続のもとでも継続されたものであつて、右違法を看過した検察官及び裁判官の過失に基づく違法な勾留である。
(四) 取調の違法性
(1) 本件被疑事件の捜査を担当した梅木巡査部長らの警察官及び検察官は、少くとも昭和二七年三月二日から同月四日までの本件逮捕期間中及び同日から同月二三日までの原告に対する被疑者としての勾留期間中、各独自の権限により又は検察官の指揮のもとで、原告に対する取調をなした。
(2) 右取調は、当初被疑事実を全面的に否認していた原告に対し、次のとおり、自白を強制する違法な取調である。
イ 原告の取調に従事した検察官は、連日、朝から深夜まで長時間にわたり執拗な取調を継続し、この間、原告の頭部、背部を小突き、有形力を行使して土下座をさせる等して、原告に対し精神的、肉体的苦痛を与えて自白を強要した。
ロ また、右警察官は、偽計をもつて原告の精神を動揺させ、家族への信頼感を喪失させることにより、自暴自棄の心情に陥らせて自白させるべく、原告に対し、「現場付近でお前を見た者がいる。」「お前の家族も犯行現場にあつた物がお前の物だと言つている。」等と虚偽の事実を申し向けた。
(五) 公訴提起の違法性
(1) 青森地方検察庁検察官検事佐藤鶴松(以下「佐藤検事」という。)は、昭和二七年三月二三日、原告を、左記公訴事実につき、強姦致死・殺人の罪で青森地方裁判所に公訴提起した。
記
被告人は昭和二十七年二月二十五日午後七時頃東津軽郡高田村大字小舘字桜苅百六十四番地寡婦川村すな(明治二十八年六月二十二日生の満五十六歳)方において炬燵にて同女と対談中劣情を催し同女に対し「やらせろ」と情交を迫りたるも拒否せらるるや矢庭に手挙を以て同女の胸部を突き同女が倒るるや之を隣りの寝床にだき抱へ仰向けにしたるも抵抗に遇ひ寧ろ同女を殺害するに如かずと決意し両手にて紐様なものにて同女の頸部を絞めて抵抗を抑圧し同女の陰部に陰茎を没入して性交をとげ以て強いて同女を姦淫して同女をして窒息死に至らしめたものである。
(2) 検察官は、公訴を提起するにあたつて有罪判決を受けるに足りる十分な証拠があるか否かを慎重に検討し、客観的に、合理的な疑いを容れる余地がない程度に立証が可能な場合にのみ公訴提起をなすべき職務上の注意義務を負うのであつて、右立証が可能な客観的資料が存しないのになした公訴提起は、検察官の過失に基づく違法行為であるというべきである。ところが、佐藤検事は、次のとおり、前記公訴提起当時、原告の自白のほかには、原告と公訴事実とを結びつける客観的資料がなく、かつ、右自白自体についてもその任意性・信用性がいずれも認められず、さらに、同検事は、血液型の弁別方式の一つであるABO式血液型弁別方式において、ある二個の対象血液型が一致しても、他の血液型弁別方式であるS式によるときは、右二個の対象血液型が、一方が分泌型、他方が非分泌型と弁別されることがあるとの認識を有していて、遺留精液と原告の血液型の同一性について疑問を持ち、また、殺害時の絞頸方法等についても疑念を抱いていたものであり、そのうえ原告の犯行を否定する資料も存していたのであるから、これら自白の任意性・信用性の検討、右疑問、疑念の解消、消極事実の解明ないし減殺のための捜査等を含む証拠の慎重な検討をすべきであるのに、証拠評価、経験則の適用を誤り、有罪判決を受けるに足りる証拠が整合、充足しているものと即断した過失により、原告について公訴提起をなしたものであつて、本件公訴提起は違法である。
イ 物的証拠の不存在
犯行現場で採取された犯人の遺留精液とABO式による原告の血液型とが、いずれもA型であるものの、このこと自体は、原告と公訴事実とを結びつけるに十分な証拠とはなし得ず、また、捜査初期の段階では、重要な物証と考えられていた本件日本手拭が、前記(二)の(2) 記載のとおり、川村すなの所持品であることが判明した結果、公訴提起時には、原告と公訴事実を結びつける物証を欠く状態となつた。
ロ 原告の自白の任意性・信用性の欠如
原告は、逮捕、勾留中である昭和二七年三月四日から同月一八日ころまで自白をしたものの、該自白は前記(四)の(2) 記載のとおり、強制に基づくものであつて、任意性がなく、また、原告は、本件逮捕直後である同月二、三日には、犯行を否認しており、自白に転じた後も、同月一九日ころには再び否認に再転したこと、犯意発生時期、殺害方法、被害者の抵抗の有無等犯行の重要な部分について自白内容の変遷があり、取調捜査官において、原告の供述を当時の鑑定所見に符合させるべく誘導したことが窺知され、また姦淫の有無、胸部・顔面部の創傷の成因等につき客観的情況との矛盾を留め、これらによつて原告の自白に信用性がないことが明らかであつた。
ハ アリバイの存在
当時原告と同居していた甲野花子、乙野春子、乙野二郎らは、いずれも、原告は昭和二七年二月二五日午後六時ころたばこを買いに行つたが五分ないし二〇分位で帰つてきたという旨の供述をし、公訴提起当時右旨の供述調書が存在しており、公訴事実における犯行時刻である同日午後七時ころには、原告にいわゆるアリバイがあつた。
(六) 原一審検証施行方法等についての違法性
原一審裁判所は、昭和二七年一〇月二一日午後五時三〇分から同日午後六時までの間、川村すな方近傍の共同墓地付近において、同墓地前路上歩行者について同墓地内からの目撃情況に関する検証を実施した。該検証は、証人柴田武良らにおいて、昭和二七年二月二五日午後七時ころ(原一審判決認定の犯行時刻)、右共同墓地内において、同墓地前路上を川村すな方の方向から歩いてくる人影を目撃したが、該歩行者は原告であつたという趣旨の証言をしたところ、右証言の信用性に関し、右時刻及び距離関係のもとでの目撃、識別の可能性の判定を目的として行われたものである。したがつて、右可能性の判定のためには、できるだけ目撃当時の情況を再現すべく、特に目撃時における明暗度については、これを、右柴田証人らの各証言内容である目撃時刻(その日没後の経過時分は約九〇分)に犯行当日の日没時刻、月令等をも併考して近似した時刻及び気象等の与件で設定すべきであるのに、右検証にあたつては、日没後経過時間を約四〇分ないし七〇分とした前記時間帯に設定して実施したものであり、右時間帯における明暗度の急激な変化を考えると、右時刻における検証によつては、前記目撃、識別の可能性の判定は不可能であることが明らかであり、他方、検証時刻を日没後九〇分経過した時刻に設定して検証を実施すれば、前記目撃、識別の可能性のないことが明白になつたのであるから、前記検証時刻を設定して検証を実施した原一審裁判官らには重大な過失があり、右検証施行方法等は違法である。
(七) 原一審判決の違法性
(1) 原一審を構成する裁判官らは、昭和二七年一二月五日原告に対し、前記公訴事実のうち、強姦致死の事実を認定して、原告を懲役一〇年に処する旨の有罪判決を言い渡し、該判決は確定したが、前記1記載のとおり、再審手続が開始され、昭和五三年七月三一日、本件再審(無罪)判決が言い渡され、確定した。
(2) 原一審裁判官らには、次のとおり、経験則を著しく逸脱し、証拠の総合評価を誤つて有罪と判断した一連の重大な過失があり、原一審判決は違法である。
イ 検証結果の評価についての過失
原一審裁判官らは、前記検証の結果から前記目撃、識別は可能であると判断し、前記柴田証人らの各証言を信用できるものと即断して、原告有罪の一主要証拠としたものである。しかし、右検証は、前記(六)記載のとおり、検証施行時刻等の設定において誤りがあつて、右柴田証言等の信用性判断の資料とはなし得ないことが明らかであるから、右検証結果をもつて右各証言の信用性を裏付けるものと評価した原一審裁判官らには、重大な過失がある。
ロ 自白の任意性・信用性判断についての過失
原告は、逮捕後二日間犯行を否認し、その後自白するに至つたが再び否認に転じ、公訴提起後は一貫して否認していたものであり、自白の内容については、前記(五)の(2) のロ記載のとおり、およそ真犯人であれば間違えるはずのない犯行の重要部分についての供述の変遷及び客観的事実との矛盾があるのであるから、原告の自白の任意性・信用性には重大な疑問が胚胎していたのに、強姦既遂の点についてのみ信用性を否定したほかこれらを肯認して有罪の認定をなした原審裁判官らには、経験則の著しい逸脱があつて、かかる判断をした重大な過失がある。
(八) 原二審検証施行方法等についての違法性
原二審裁判所は、昭和二八年四月二日午後三時から午後七時一〇分まで、原一審と同様に証人柴田武良らによる原告の目撃、識別の可能性の判定の目的で、前記共同墓地付近で検証を行つたが、該検証においても、その検証時刻を日没前から日没後約六〇分を経過した時刻に設定し、右柴田証人らの目撃当時の情況とは著しい差異あるものとした。しかし、これによつては前記目撃・識別の可能性の判定不能は明らかであり、そのうえすでに、検証時刻を日没後約九〇分経過した時刻に設定して検証を実施すれば、右目撃・識別の可能性のないことが明白になつたのであるから、前記のような検証時刻を設定して検証を実施した原二審裁判官らには、重大な過失があり、右検証施行方法等は違法である。
(九) 鑑定人選任の違法性
原二審裁判所は、昭和二八年七月二五日、赤石英を鑑定人に選任し(この選任時以降の同人を以下「赤石鑑定人」という。)、ABO式、S式による原告の血液型の鑑定を命じたところ、赤石鑑定人は、原告の血液型はA型、分泌型である旨の同月二六日付鑑定書を提出したが、この鑑定の結論は誤りであつて、原告の血液型は、A型、非分泌型に属する。原二審裁判所は、右鑑定を証拠として控訴棄却の判決をした。しかし、赤石鑑定人は、本件公訴提起前である昭和二七年三月五日、梅木巡査部長の嘱託によりABO式、MN式による原告の血液型をA型、N型と鑑定した者であり、原一審裁判所は、これをその有罪判決の証拠としたのであるから、原二審における鑑定にあたつて、かつて自己がなした鑑定の経過及び結果に関し、S式による血液型の判定をしなかつたところ、S式による原告の血液型が非分泌型に属し、犯人の遺留精液の血液型と一致せず、ひいて原告につき無罪の結論に至るべきであるのに有罪の結論に赴かしめたとの問責を受けるべき内容の鑑定をすることは期待できないし、またS式による血液型の判定は、微妙であるから、ABO式による血液型の判定結果を既知している者に鑑定を命じるときは、右既往の判定結果を予断するため、正確な鑑定ができないおそれがあるなど公正で客観的な鑑定を妨げる事情があつたのであるから、原二審裁判官らには、赤石英を鑑定人に選任すべきではなかつたのに、同人を鑑定人に選任したという重大な過失があり、右鑑定人の選任は違法である。
(一〇) 鑑定の違法性
(1) 赤石鑑定人の身分等
イ 赤石鑑定人は、昭和二八年七月二五日当時国立弘前医科大学(現国立弘前大学医学部の前身)教授(法医学担当)であり、同日、原二審裁判所の命令に基づき採取した原告の唾液を被検体としてABO式、S式による血液型の鑑定をし、翌二六日鑑定書を作成し、原二審裁判所に提出した。
赤石鑑定人は右鑑定を裁判所の補助機関として行つたものであり、かつ、同鑑定人は、国立大学教授であつて、裁判所の命令によつて右鑑定を行つたものであるから、同鑑定人は、国家賠償法一条にいう「国の公権力の行使に当る公務員」に該当し、右鑑定は、同条にいう「その職務を行うについて」行つたものである。
ロ 赤石鑑定人は、昭和二八年七月二五日当時、国立弘前医科大学教授(法医学担当)で、被告の被用者であつて、その職務の性質上、裁判所の命令による鑑定を行うことも業務の一つであるところ、同日、右職務の執行として原二審裁判所の命令にこたえて、前記のとおり、鑑定をした。
(2) 赤石鑑定人の過失
前記のとおり、原告の血液型はA型、非分泌型であるのに、赤石鑑定人は、これをA型、分泌型と判定鑑別したものであつて、右鑑定は、過失に基づく違法な鑑定である。
すなわち、鑑定人は、鑑定をなすにあたつて、その専門的学識経験を用い、適切な方法により鑑定をなすべき職務上の注意義務を負うのに、赤石鑑定人は、これを怠り、前記鑑定の際、実験結果の判定の所要時間を短縮しすぎて観察するなど鑑定の経過において誤つた方法により、誤つた鑑定結果にいたつたとの過失がある。
(3) 因果関係
原二審裁判所は、右鑑定結果を記載した鑑定書を証拠として採用した結果、原一審判決を支持して控訴棄却の判決を言い渡したものであるが、犯行現場の遺留精液からは、犯人の血液型はA型、分泌型に属するから、前記違法鑑定によることなく、かつ、原告の血液型が非分泌型である旨の正当な鑑定結果を得たとすれば、原告が犯人でないことが明白になり、原二審で無罪判決を受けることが明らかであり、ひいては刑の執行を受けることもなかつたのであるから、赤石鑑定人による前記違法鑑定と後記損害との間には相当因果関係がある。
(二) 原二審判決の違法性
(1) 原二審を構成する裁判官らは、昭和二八年八月二二日、原告の控訴を棄却する旨の判決を言い渡し、該判決の確定により原一審判決が確定したが、前記1記載のとおり、再審手続が開始され、本件再審裁判所により昭和五三年七月三一日、本件再審(無罪)判決が言い渡され、確定した。
(2) 原二審裁判官らには、次のとおり、原一審判決には明らかに判決に影響を及ぼすべき事実誤認があることが明白であつたのに、経験則を著しく逸脱し、証拠の総合評価を誤つた結果、原一審判決にはかかる事実誤認はないものと判断した一連の重大な過失があり、原二審判決は違法である。
イ 検証結果の評価についての過失
原二審裁判官らは、原一、二審における前記各検証の結果から前記目撃、識別の可能性を肯認し、前記柴田証人らの各証言を信用できるものと即断して、原告有罪の一主要証拠としたものである。しかし、右各検証は、前記(六)及び(八)記載のとおり、いずれも検証実施時刻等の設定において誤りがあつて、右柴田証言等の信用性判断の資料とはなし得ないことが明らかであるから、右各検証結果をもつて右各証言の信用性を裏付けるものと評価した原二審裁判官らには、重大な過失がある。
ロ 鑑定結果の評価についての過失
赤石鑑定人には前記(九)記載の事情があるなど、同鑑定人による前記鑑定結果の正確性・信用性には重大な疑問があつたのにかかわらず、原二審裁判官らは、右鑑定結果の正確性・信用性をたやすく肯認し、原告有罪の証拠として採用した鑑定結果の評価についての重大な過失がある。
ハ 自白の任意性・信用性判断についての過失
原告の自白の任意性・信用性に関しては、前記(五)の(2) のロ記載のとおりの重大な疑問を胚胎していたのに、強姦既遂の点についてのみ信用性を否定したほかこれらを肯認して有罪の認定をした原二審裁判官らには、経験則の著しい逸脱があつて、かかる判断をした重大な過失がある。
3 損害
(一) 損害額
(1) 裁判費用 五〇〇万円
原告は、昭和二七年三月二三日、青森地方裁判所に公訴提起されてから、昭和五三年八月一四日の経過により本件再審(無罪)判決が確定するまで、原一審、原二審、再審請求一審、再審請求二審、本件再審の各審判のため刑事裁判費用として五〇〇万円以上の支出を余儀なくされた。
(2) 逸失利益 一二一六万八〇〇〇円
原告は、昭和二七年三月二日当時、板金業を営む三〇歳の健康な男子で、全労働者の平均給与額と同額以上の収入を得ていたところ、前記のとおり、同日逮捕に引き続き仮出獄による釈放までの二一八〇日間にわたり、前記違法な逮捕・勾留・刑の受執行による拘束生活を余儀なくされたもので、この拘束によつて一二一六万八〇〇〇円以上(昭和五二年度賃金センサスにより、全国性別年齢階級別、年次別平均給与額を算出し、昭和二七年三月二日から昭和三三年二月一八日までの賃金額を算出)の得べかりし収入を失つた。
(3) 慰謝料 三〇〇〇万円
原告は、前記違法な逮捕・勾留・刑の受執行による合計二一八〇日間の拘束生活を強いられたばかりか、殺人犯人と疑われて社会的名誉を喪失し、仮釈放後も、いわゆる日陰の生活を送り、社会的な圧迫により営業活動も十分にできず、昭和五三年八月一四日の経過により本件再審(無罪)判決が確定するまで、限りない精神的、肉体的苦痛と甚大な経済的損失を被つた。とりわけ、原告の無実を信じ、原告を励まし、その精神的な支えとなつた妻花子が、原告の逮捕、勾留によりその病状が悪化し昭和三二年五月二一日、死亡したことにより深刻な悲嘆に陥らしめられた。さらに、原告は、前記違法行為により、昭和四二年八月二五日、再審の請求をし、本件再審(無罪)判決の確定まで一一年間、前記各審判のための奔走を余儀なくされ、このため、肉体的、精神的苦痛と莫大な経済的損失を受けた。
以上の苦痛、損失に対する慰謝料としては三〇〇〇万円が相当である。
(二) 損害の一部填補
原告は、昭和五四年三月一七日、被告から、刑事補償法に基づく補償金八九三万八〇〇〇円の交付を受けた。
(三) 弁護士費用等 二五〇万円
原告は、本訴提起にあたつて、手数料として五〇万円を支出し、また、本訴の提起、追行を弁護士である原告訴訟代理人らに委任し、勝訴の場合、勝訴金額の一〇%に相当する三八二万三〇〇〇円の謝金を支払うことを約したから、以上手数料及び弁護士費用の合計四三二万三〇〇〇円の内金二五〇万円。
4 結論
よつて、原告は被告に対し、国家賠償法一条(請求原因2の(一〇)の(1) のロについては予備的に民法七一五条)に基づき損害賠償金合計四〇七三万円及びこれに対する違法行為の日の後であり、本件訴状送達の翌日である昭和五四年一一月二二日から支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
1 請求の原因1の(一)ないし(四)は認める。
2
(一) 同2が(一)は否認する。
(二) 同(二)の(1) は認める。(2) のうち、捜査を担当した国家地方警察青森県本部青森地区警察署警察官が、原告を逮捕状により逮捕した当時存した主要な資料が、本件日本手拭、原告主張の内容の二七・二・二七付義昭調書及び原告主張の内容の二七・三・一付梅木報告書の三つであること、捜査を担当した右警察官が、昭和二七年三月一〇日作成した川村すなの遺族である川村芳男の司法警察員に対する供述調書には本件日本手拭と同種の日本手拭が川村すなの遺品の中から発見されたとの記載があることは認めるが、その余は否認する。
逮捕の要件である「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」とは、公訴提起に足りる程度の嫌疑までも要求されないばかりか、勾留の要件としての「相当な理由」よりも緩やかなものというべきであり、その疎明資料としては、伝聞供述であつても利用でき、必ずしもいわゆる裏付捜査をする必要もない。
本件逮捕状請求の際の疎明資料は、二七・二・二七付義昭調書、本件日本手拭の領置報告書、二七・三・一付梅木報告書であつて、右義昭調書作成の過程に違法性はなく、その信用性に疑問が生じる余地もなかつたのであり、本件日本手拭については、昭和二七年二月二八日、川村すなの実子である川村芳男、川村利男及び祐川むつが、いずれも川村すな又は家族員の所有物ではない旨を断言しており、逮捕後である同年三月一〇日に至つて初めて、右芳男において、本件日本手拭と同種の日本手拭が川村すなの遣品の中から発見された旨の事実を捜査当局に出頭して説明したものであるから、右逮捕当時において、本件日本手拭が犯人の遺留したものでありその所持人が原告であると考えることが経験則に合致するものというべきである。そして、右梅木報告書には、原告は、その妻が脊椎疾患に羅患のため夫婦の性交渉が不能の状態にあつたこと及び定職がなく生活費にも窮していたことという犯行の動機を窺わせる事実、原告は以前から川村すな方に出入りしていたこと、犯行当日の午後五時ころ長内右蔵方で飲酒し、同日午後六時ころ川村すな方近くの里村商店でたばこを買つた後の足取が不明であることなど、情況証拠となるべき事実の記載があつた。したがつて、本件逮捕当時、原告が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があつたのであつて、本件逮捕は適法である。
(三) 同(三)の(1) は認めるが、(2) は否認する。
(四) 同(四)の(1) は認めるが、(2) は否認する。本件取調が原告に対し自白を強制する違法な取調であることを争う。
原告は、昭和二七年三月二日逮捕され、逮捕後二日間は、担当警察官の取調に対し、被疑事実を否認し、同月四日の事件送致後の青森地方検察庁における弁解録取の際、渡辺検事に対し初めて自白し、その後青森地方裁判所裁判官による勾留質問並びに検察官及び警察官による各取調に対し自白を継続したものであるところ、右自白は、被疑事実を全面的に自認したものではなく、強盗の点は否認し、また、後に判明した本件日本手拭が川村すなの所持品である点についても、当初より一貫して原告のものであることを否認するなど、一般的若しくは包括的又は抽象的にではなく、事項を限つて弁別し、具体的に自白をしたものであつて、その内容からしても、任意になされたことが明らかであり、しかも、原告は、原一審、再審請求一審及び別件一審の各公判廷において、いずれも、右各自白を含む取調において担当警察官または検察官から、乱暴されたり無理な取調を受けたことはない旨を供述しているのであるから、自白の強要などの事実はなく、本件取調は適法である。
(五) 同(五)の(1) は認める。(2) の冒頭の事実は否認する。同(2) のイのうち、犯人の遺留精液とABO式による原告の血液型とがともにA型であること、本件日本手拭が公訴提起時には川村すなの所持品であることが判明していたこと、ロのうち、原告が本件逮捕直後である昭和二七年三月二、三日には犯行を否認し、同月四日から自白し、その後再び否認するに至つたこと(ただし、再び否認したのは同月二三日である。)、ハのうち、当時原告と同居していた甲野花子、乙野春子、乙野二郎らが、いずれも、原告は昭和二七年二月二五日午後六時ころたばこを買いに行つたが、五分ないし二〇分位で帰つてきたという旨の供述をし、公訴提起当時その旨の供述調書が存在していたことは認めるが、イないしハのその余はいずれも否認する。
公認の提起は、起訴時における証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるから、国家賠償法上、公訴提起が実質的に違法であるというべきときとは、その公訴提起をするに至つた検察官の判断が、証拠の評価について、通常考えられる個人差を考慮に入れてもなおいわゆる行き過ぎであつて、経験則、論理則に照らして到底その合理性を肯定することができない程度に達していることが必要である。本件においては、原告の右自白調書以外にも原告と犯行を結びつける証拠として次のものがある。すなわち、まず、原告の血液型がA型、N型であるとする赤石英作成の昭和二七年三月五日付鑑定書、いずれも原告についての犯行の動機、犯行の機会の各存在及び本件犯行当日時における行動を示す昭和二七年三月一〇日付実況見分調書、長内芳春、宮崎コヨの検察官に対する各供述調書、鎌田謙治の司法警察員に対する供述調書、里村セツの検察官及び司法警察員に対する各供述調書、長内義昭の司法警察員に対する昭和二七年三月二日付供述調書、里村隆の司法警察員に対する同年三月三日付供述調書、乙野二郎の司法警察員に対する同年三月五日付供述調書等の証拠があり、他に犯行状況を示す証拠として医師荻原清澄作成の同年二月二六日付死体検案書、同年二月二六日付実況見分調書、事件現場写真記録(同日撮影)、同日付任意提出書及び領置調書、赤石英作成の同年三月一一日付、同年三月二〇日付各鑑定書等が存在した。そして、右原告の自白に関しては、その任意性については、前記2記載のとおり肯認でき、その信用性については、いずれもその自白に係る犯行の動機に不自然な点はなく、犯行の態様及び殺害方法は犯行現場の客観的状況及び川村すなの創傷の性状と符合し、犯行時刻、犯行時の天候も他の客観料に合致していて優に措信できる。なお、姦淫行為につき、原告は膣内射精した旨供述しているのに、右すなの死体解剖的資時には膣内から精子が発見されていないものの、これは、解剖前に死体の検視をした医師荻原清澄において綿球で膣内の分泌物を採取したためであり(なお、右綿球は所在が不明となつた。)、原告の右供述と矛盾するものではない。したがつて、原告の自白の任意性・信用性についての佐藤検事の判断は、原一、二審、再審請求一審、別件一審の各裁判所が、いずれも原告の自白の任意性・信用性を肯認していることからも合理的判断といえるものである。さらに、原告の家族である甲野花子らのいわゆるアリバイに関する供述は、本件再審判決においてもその信用性は肯認されていないのであつて、到底信用するに足りないものである。以上のとおり、本件公訴提起にあたつて、合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑が存したことは明らかであり、佐藤検事は証拠資料を十分に検討したうえ、有罪の確信をいだいて公訴提起したものであるから、本件公訴提起は適法である。
(六) 同(六)のうち、原告主張の日時・場所・目的で検証が実施されたことは認めるが、その余は否認する。
(七) 同(七)の(1) は認める。(2) のイのうち、原一審裁判官らが、該検証の結果、前記目撃「・」識別は可能であり、前記柴田証人らの証言を信用できるものと判断して原告有罪の主要な証拠の一つとしたことは認め、その余は否認する。ロのうち、原告が本件逮捕後二日間犯行を否認し、その後自白するに至つたが、再び否認に転じ、公訴提起後は一貫して否認していたこと、原一審裁判官らが右自白について強姦既遂の点についてのみその信用性を否定したほかは、任意性・信用性を肯定したことは認め、その余は否認する。
(八) 同(八)のうち、原二審裁判所が原一審と同様の目的で、昭和二八年四月二日午後三時から午後七時一〇分まで、前記共同墓地付近で原一審と同様に検証を行つたことは認めるが、その余は否認する。
(九) 同(九)のうち、原二審裁判所が、赤石鑑定人を鑑定人に選任してABO式、S式による原告の血液型の鑑定をさせたこと、赤石鑑定人は、原告の血液型をA型、分泌型と判定する旨の鑑定所見を提出したこと、原二審裁判所は右鑑定所見を証拠の一つとして控訴棄却の判決をしたこと、同鑑定人は、公訴提起前である昭和二七年三月五日、梅木巡査部長の嘱託によりABO式、MN式による原告の血液型をA型、N型と鑑定した者であり、原一審裁判所はこれをその有罪判決の証拠としたことは認めるが、その余は否認する。
(一〇) 同(一〇)の(1) のイ及びロのうち、赤石鑑定人が、昭和二八年七月二五日当時、国立弘前医科大学(現国立弘前大学医学部の前身)教授(法医学担当)で、同日、原二審裁判所の命令に基づき、原告の唾液を被検体としてABO式、S式による血液型の鑑定をし、翌二六日鑑定書を作成し、同裁判所に提出したこと、同人は被告の被用者であることは認めるが、その余は否認する。(2) のうち、赤石鑑定人が、昭和二八年七月二六日、原告の血液型についてこれをA型、分泌型と判定したことは認めるが、その余は否認する。(3) は否認する。
赤石鑑定人のなした鑑定所見の提出は、公権力の行使にあたらないから、国家賠償法一条の適用はなく、その鑑定は一私人としてなしたものであるから、民法七一五条の適用もない。
(一一) 同(一一)の(1) は認める。(2) のイのうち、原二審裁判官らが、右原一、二審各検証の結果をもつて、前記目撃「・」識別の可能性を肯認し、前記柴田証言らを信用できるものと判断して、原告有罪の一主要証拠としたことは認めるが、その余は否認する。ロは否認する。ハのうち、原二審裁判官らが、原告の自白について、強姦既遂の点についてのみ信用性を否定したほか任意性・信用性を肯認したことは認めるが、この判断をした原二審裁判官らに重大な過失があることは否認する。
裁判官の職務行為に対する国家賠償法一条一項の適用は限定されるべきであつて、裁判官が事実認定にあたつて経験則・採証法則を著しく逸脱し通常の裁判官ならば決して犯さないような過誤を犯した場合や、故意に事実を歪曲して認定したり、一見何人でも明らかである法令の解釈を誤つたような場合に初めて判決の違法性が問題となるというべきである。本件の場合、右のような過誤があつたか否かについては、主として原告の自白の任意性・信用性、遺留精液と原告の結びつき、柴田武良ら目撃証人らの証言の信用性の三点についての判断に関して問題となるところ、原告の自白の任意性・信用性については、前記(四)、(五)記載のとおり、これを肯認することは十分に合理的といえるし、遺留精液と原告との結びつきについては、S式による原告の血液型は非分泌型であつて、遺留精液のそれが分泌型であるか非分泌型であるか鑑定所見自体一致せず、その差違は量的で、遺留精液についてのS式による血液型を分泌型と断定することはできず、非分泌型の可能性もあるところから、原告と遺留精液は結びつき得るものとした原一、二審各判決の判断は合理性あるものであり、目撃証人らの目撃の可能性については、検証結果如何にかかわらず、該地域の住民は、薄暮に慣れた環境下で生活しているものであり、また目撃当日は、右証人らが次第に暗さが増してきて徐々に暗さに慣れてきたことに加えて、積雪によるいわゆる雪明かりで人の識別が容易になつていたこと、右証人らは右目撃前から原告と面識があり、しかも原告は右証人らを含む小舘部落の住民にとつて青森市内からの人婿として好奇の存在で注目されていたこと、右証人らの目撃当時現に原告を識別したものであつて、犯行発覚後判断して識別したというものではなく、他者の影響を受ける余地がないこと及び右証人らと原告との間には利害関係等特別な関係はなく、原告に不利な虚偽の供述をなすべき事情はないことから、右証言を信用性あるものと判断することは合理的である。したがつて原一、二審各判決が、原告を有罪と認定したことは、自由心証主義の合理的な範囲内にあるものということができ、経験則・採証法則を著しく逸脱し、通常の裁判官ならば決して犯さないような過誤を犯したものとは到底いえず、原一、二審各判決は適法なものである。
3 同3の(一)の(1) は知らない。(2) のうち、原告が昭和二七年三月二日当時三〇歳の男子であり、同日逮捕に引き続き仮出獄による釈放までの二一八〇日間にわたり、逮捕、勾留、刑の受執行による拘束生活をしていたことは認めるが、その余は争う。(3) のうち、原告の妻花子が昭和三二年五月二一日死亡したことは認めるが、その余は争う。同(二)は認める。同(三)は知らない。
三 抗弁
(除斥期間)
本件被疑事件の捜査を担当した警察官が原告を逮捕状により逮捕したのが昭和二七年三月二日、右捜査を担当した警察官及び検察官が原告に対する取調をなしたのが同日から同月二三日まで、佐藤検事が公訴提起をしたのが同月二三日、原一審裁判官らが検証を施行したのが同年一〇月二一日、右裁判官らが原一審判決の言渡をしたのが同年一二月五日、原二審裁判官らが検証を施行したのが昭和二八年四月二日、右裁判官らが赤石英を鑑定人に選任したのが同年七月二五日、赤石鑑定人が鑑定書を原二審に提出したのが同月二六日、原二審裁判官らが原二審判決の言渡をしたのが同年八月二二日である。したがつて、仮に、原告主張の損害賠償請求権が発生したものとしても、原告主張による被告の公務員又は被用者の各行為の時からいずれも二〇年の除斥期間を経過したことになるから右損害賠償請求権は除斥期間の経過により消滅した。
四 抗弁に対する答弁
抗弁事実は認める。しかしながら、本件除斥期間は原告に対する本件再審(無罪)判決が確定した日である昭和五三年八月一五日から進行する。
第三証拠<省略>
理由
第一本件再審判決確定に至るまでの経緯
請求原因1の(一)ないし(四)の事実は、当事者間に争いがない。
(証拠省略)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
1 原告は、大正一〇年七月一二日、(所在地省略)において、父甲野一夫、母夏子の長男として出生し、青森市立古川尋常小学校を卒業した後、板金工となり、昭和二一年一一月三日、亡妻甲野花子(昭和三二年五月二一日死亡)と結婚し、出生地で両親と同居したが、同女が脊椎の疾患に罹患したため昭和二五年夏ころから両親と別居し、同女とともにその実家である(所在地省略)乙野春子方において亡花子の母乙野春子、祖父母、弟二人と同居するに至つたものであるが、当時、原告は、板金工ながら、受注が不定で定収入がなく、原告夫婦の生活費は亡花子の実家が負担していたこと、
2 昭和二七年二月二五日夜、青森県東津軽郡高田村大字小舘字桜苅一六四番地川村すな方において、川村すな(当時五六歳)が殺害される事件が発生し、翌二六日、同女の変死体が発見されて国家地方警察青森県本部青森地区警察署警察官らによる捜査が開始され、付近住民からの聞込捜査、取調等により、犯行現場から発見された折鶴模様の本件日本手拭が同部落に居住する原告の所有物である旨の供述を得たこと等によつて、同年三月一日、強姦・強盗・殺人の被疑事実により原告に対する逮捕状の請求がなされ、同日、青森地方裁判所裁判官により逮捕状が発布され、翌二日午前六時四五分、原告は右逮捕状により逮捕されて国家地方警察青森県本部青森地区警察署に引致され同日午前一〇時一〇分、弁解録取手続がなされ、翌三日午後七時三〇分、青森地方検察庁に事件送致され、翌四日午前一一時三〇分、検察官による弁解録取手続がなされた後、前記被疑事実による勾留の請求によつて、同日、青森地方裁判所裁判官による勾留質問を経て、勾留場所を右青森地区警察署とする勾留状の発布により、同日午後七時、その執行がなされ同月一二日、柳町拘置支所に移監され、該勾留は、同月一三日、一〇日間延長されたこと、この間本件逮捕、勾留期間中、原告は警察官及び検察官の取調を受けたこと、
3 同月二三日、原告は身柄拘束のまま青森地方検察庁検察官により強姦致死・殺人の罪で青森地方裁判所に公訴提起され、原一審裁判所は、同年一二月五日、原告に対し強姦致死罪により懲役一〇年に処する(殺人の点につき刑法五四条一項前段の関係にあるとして理由中での無罪)旨の判決を言い渡したので、原告は翌六日控訴をし、仙台高等裁判所に移審し、審理の結果、原二審裁判所は、昭和二八年八月二二日、控訴棄却の判決を言い渡し、原告及び弁護人は上告を断念したので該判決は同年九月五日の経過をもつて確定したこと、この間、原告は、引き続き拘束されていたものであるが、同月六日、右懲役刑の受執行として宮城刑務所に入監せしめられ、同年一一月二一日、秋田刑務所に移監されたのち、昭和三三年二月一八日、仮出獄により釈放されるまで右拘禁は継続した(その刑期は昭和三七年七月一六日終了)こと、
4 ところが、昭和四一年、長内芳春において前記川村すな殺害事件のいわゆる真犯人として自陳するに至り、東京地方検察庁検察官による再捜査の結果、同検察官は、昭和四二年二月二三日、同人を強盗殺人・強盗強姦未遂の罪で東京地方裁判所に公訴提起したものの、別件一審裁判所は、審理の末、昭和四三年七月二日、同人に対し無罪判決を言い渡し、東京高等裁判所に控訴審係中である昭和四五年五月五日、右長内芳春の自殺により同裁判所は公訴棄却の決定をなしたこと、
5 原告は、真犯人として名乗り出た者がいることを知り、昭和四二年八月二五日、青森地方裁判所に対し、前記原一審判決について再審の請求をしたが、昭和四八年三月三〇日、再審請求棄却の決定がなされ即時抗告の結果、仙台高等裁判所において昭和五一年一〇月三〇日、再審開始の決定がなされ、その確定により青森地方裁判所において本件再審公判が行われ、審理の結果、昭和五三年七月三一日、原告に対し本件再審(無罪)判決が言い渡され、同年八月一四日この判決は確定したこと。
第二被告の責任の有無
原告は、被告の各公権力を行使する公務員である捜査・訴追・裁判の各機関の行為が違法である旨主張するので、以下右各機関を構成する公務員の行為の違法性の有無について順次検討する。
一 逮捕の違法性の有無
1 本件逮捕に至るまでの経緯
請求原因2の(二)の(1) の事実は、当事者間に争いがない。
(証拠省略)を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 昭和二七年二月二六日朝、川村すなの変死体が同女の甥である長内義昭によつて発見され、高田巡査駐在所巡査森内盛次郎に通報されたため、同巡査は、高田村診療所医師荻原清澄とともに現場に赴き、同医師による死体検案の結果、死体の右頸部に水平索状溢血が視認され、紐様のものを用いての絞首による窒息死であると判定され、また、死体の下腹付近に乾燥した精液様粘液が付着していることが認められたことから、川村すなは姦淫のうえ殺害されたことが推認されたこと、なお、右巡査らが現場へ到着する以前に、川村すなの親族及び付近住民が、同女方に入り込み、ストーブに点火するなどしていたこと、
(二) その後、国家地方警察青森県本部青森地区警察署から梅木巡査部長らが到着し、佐藤検事の指揮による検視の結果、他殺と断定され、現場の実況見分、付近住民からの事情聴取など本格的捜査が開始されたこと、右実況見分において、被害者方六畳寝室で被害者の遺品とともに折鶴模様の本件日本手拭及び銚子一本が発見されたが、これらについて被害者の遺族らが被害者の所有物ではない旨を申し立てたので、右梅木は犯人が遺留したものとして領置したこと、
(三) 担当警察官らは、同日午後四時ころから、野沢小学校において、第一発見者である長内義昭(当時一六歳)を参考人として取り調べ、同所に宿泊させ、翌二七日、小舘青年集会所において同人を朝から午後一一時ころまで取り調べた結果、本件日本手拭は、原告が平常所持、使用しているものと同一であるとの供述を得たので、原告に対し有力嫌疑を擬するに至つたこと、
(四) 一方、青森地区警察署三浦警部補は、同月二七日、鑑定処分許可状を得て、弘前医科大学教授赤石英に嘱託して被害者の死体解剖をなさしめ、同月二九日、同教授から下腹部付近の付着物は、精液である旨の中間報告を得、さらに、被害者の着衣及び本件日本手拭について精液付着の有無及び血液型の鑑定を嘱託し、なお、同年三月一日、被害者の長男川村芳男から、被害者方から約一〇〇〇円が盗まれているとの被害てん末書の提出を受けたこと、
(五) 担当警察官らは、さらに原告についての捜査を進めた結果、原告は、(1) かつて被害者方の風呂場の修理をなし、かつ、該風呂に入浴したことがあること、(2) 妻と同居しながら、脊椎疾患に罹患していた妻とは性生活途絶の状態であると自陳していたこと、(3) 定収なく、生活費に窮していたこと、(4) 昭和二七年二月二五日、午後五時ころ、隣家である長内石蔵方で飲酒し、午後六時ころ、被害者方の近くである里村商店でたばこを購入していること等の情報を入手したが、同日における里村商店以後の原告の消息が不明であつたこと、
(六) 以上の結果、前記三浦警部補は、原告について強姦・強盗・殺人の被疑者として罪を犯したと疑うに足りる相当な理由があるものと判断して、昭和二七年三月一日、「被疑者は昭和二七年二月二五日午後一〇時頃、東津軽郡高田村大字小舘字桜苅無番地無者川村スナ当五八年方に赴き同人が炬燵に焙つている処を同人の着ている着物の襟で頸部を絞めて絞殺し、同所より同人の寝床に運んで姦淫し、同人が所持していたチヤツク付財布より現金壱千円位を窃取したものである。」との被疑事実により、青森地方裁判所裁判官に対し、逮捕状を請求し、同日、その発布を得、翌二日午前六時四五分、原告を右逮捕状により逮捕し、国家地方警察青森県本部青森地区警察署へ引致し同署に留置したこと。
2 逮捕時における収集証拠及びその証拠価値<省略>
3 逮捕の違法性の基準<省略>
4 警察官の過失の有無<省略>
二 勾留の違法性の有無<省略>
三 取調の違法性の有無<省略>
四 公訴提起の違法性の有無
1 公訴提起の経緯
請求原因2の(五)の(1) の事実は、当事者間に争いがない。
2 公訴提起時における収集証拠及びその証拠価値
請求原因2の(五)の(2) のイのうち、犯人の遺留精液とABO式による原告の血液型が、ともにA型であること、本件日本手拭が公訴提起時には川村すなの所持品であることが判明していたこと、同ロのうち、原告が本件逮捕直後である昭和二七年三月二、三日には犯行を否認し、同月四日から自白し、その後再び否認するに至つたこと、同ハのうち、当時原告と同居していた甲野花子・乙野春子・乙野二郎らが、いずれも、原告は昭和二七年二月二五日午後六時ころたばこを買いに行つたが五分ないし二〇分くらいで帰つてきたという旨の供述をし、公訴提起時その旨の供述調書が存在していたことは、当事者間に争いがない。(証拠省略)を総合すると、本件逮捕当時収集済の証拠資料に加えて、公訴提起時までに収集された証拠資料及びその証拠価値について、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 原告が犯人であるとの証拠として、次の証拠があること、
(1) まず、原告が犯行現場に現在したことを示す証拠として、赤石英作成の鑑定書三通(証拠省略)があるところ、これらは、原告のABO式による血液型はA型であり、MN式による血液型はN型であるとの鑑定所見(証拠省略)、被害者の下腹部の付着物は精液であり、そのABO式による血液型はA型であるとの鑑定所見(証拠省略)、被害の着衣の付着物もまた精液であり、そのABO式による血液型はA型であBO式によ所見(証拠省略)であつて、これらによつて、原告と犯行現場に遺留された精液ひいては犯人のAるとの鑑定る血液型がいずれもA型であり一致することが明らかとなること、
(2) 原告が、犯行時刻の直前に犯行現場の近傍にいたことを示す証拠として、里村セツ(証拠省略)、里村隆(証拠省略)、長内義昭(証拠省略)の各供述調書があるところ、これらは、いずれも昭和二七年二月二五日午後六時ころ原告が里村商店においてたばこを購入したとの供述者の直接的体験を録取したものであつて、前記捜査報告書(証拠省略)の内容と符合し、その証拠価値はより高度というべく、これらは、原告による犯行の可能性を客観的に裏付ける資料の一つとなるものであること、
(3) 犯行の動機を示す証拠として、甲野花子の供述調書(証拠省略)があるところ、これは同女が脊柱カリエスに罹患していることを確認し、かつ、原告が青森市へ女遊びに行くこと及び原告には定収がなく生活費を実家に入れたことは過去一度だけであるとの供述内容であつて、前記捜査報告書(証拠省略)の内容を裏付けるものであり、これによつて原告に犯行の動機となり得る事情が存することが一層明らかとなつたこと、
(4) その他の情況証拠として、長内芳春(証拠省略)、宮崎コヨ(証拠省略)、鎌田謙二(証拠省略)の各供述調書があるところ、右長内芳春、宮崎コヨの各調書の要旨は、原告は被害者方に風呂場の修理及び入浴のため二回ほど出入りしたことがあるというものであつて、前記捜査報告書(証拠省略)の内容を裏付けるものというべく、右鎌田謙二の調書の要旨は、犯行の翌日である昭和二七年二月二六日朝、青森市へ行くという原告と一緒になつたが、その態度に不審な点があつたというものであつて、原告の犯行後の行動を示す証拠となるものであること、
(二) 他方原告が犯人ではないとの情況証拠として次のものがあること、
(1) 本件逮捕当時、本件日本手拭の存在とこれに関する長内義昭の供述(証拠省略)が原告と犯行を結びつける有力な証拠と考えられていたことは、前記一記載のとおりであるが、その後、原告の亡妻甲野花子(証拠省略)、同女の母乙野春子(証拠省略)から本件日本手拭は原告方には存在しなかつたとの供述を得、原告も本件日本手拭が自己の所有物であることを否認していたところ、昭和二七年三月一〇日、被害者の長男である川村芳男の供述(証拠省略)によつて、被害者の遺品の中から本件日本手拭と同種の日本手拭が発見されたことが判明したことから、本件日本手拭は、被害者の所有物である可能性が高くなり、前記長内義昭の供述の信用性は著しく減殺され、本件日本手拭の罪証としての価値も減弱するに至つたこと、
(2) 動機に関し、甲野花子(証拠省略)、原告(証拠省略)、長内芳春(証拠省略)の各供述調書があるところ、前二者は、当時、原告ら夫婦の性生活は普通になされていて、花子は性交不能の状態ではなかつたとの供述内容であり、後者は、犯行当日、長内芳春が原告に対し、靴代金として一一二〇円を交付したとの供述内容であつて、これらによると、原告が、夫婦間の性生活について不満を覚えていたとの推定及び犯行当日金銭に不自由していたとの推定は、必ずしも合理的ではないこととなること、
(3) そして、いずれも原告と同居する親族である甲野花子(原告の妻、(証拠省略)、乙野春子(右花子の母、(証拠省略)、乙野二郎(花子の弟、(証拠省略)の各供述調書の要旨は、原告が昭和二七年二月二五日午後六時ころ外出したものの、五分ないし二〇分くらいで帰宅し、その後外出していないというものであつて、これらによれば、原告が里村商店でたばこを購入した後、被害者方に赴いて本件犯行を行う時間的な余裕があるとはいえず、原告にはいわゆるアリバイが成立することとなること、
(三) 原告の自白の任意性及び信用性については、以下のとおり検討されること、
(1) 原告は、警察官の取調により、昭和二七年三月四日付(証拠省略)、同月五日付(証拠省略)、同月八日付(証拠省略)及び検察官の取調により同月一七日付(証拠省略)各自白調書を作成されているところ、警察官及び検察官による取調について前記三記載のとおり違法な点は見出せず、その任意性を否定すべき事情もないこと、
(2) もつとも、子細にせんさくすると、右自白内容の中には、次のとおり、客観的証拠によつて認められる事実との不一致があり、またその供述内容の変遷も看取されること、すなわち
イ いずれも赤石英の鑑定所見(証拠省略)によると、被害者の右大胸筋に存した長さ一三cm、幅〇・五cmの打撲傷は、細長い作用面を有し、かつ、かなりの硬度の鈍体の作用を成因とするもので、手拳によるものとは考え難く、また、被害者の頸部甲状軟骨突起部下方約一・五cmの部位に略水平に存した索溝は、紐様物を頸部にかけ、両手で後より頭頂部方向へ引くとの方法又は着物の襟をもつて口の直下部位で上方へ絞めあげるとの方法によつて生じたものと考えることは困難であり、さらに被害者の下腹部からは精子が発見されたものの、腟内からは精子が採取されなかつたので、犯人はいわゆる腟外射精をしたものと推認される(なお、赤石英による解剖前に、荻原医師の綿球による膣内容物の採取行為がなされていた。)との各所見があるところ、原告は前記自白において、右大胸筋創傷の成因につき、「右手拳で押した」「右手拳で一回どんと突いた」と述べ、また頸部索溝の成因につき、紐様物を被害者の首にかけ、枕元から両手で後より引いたとの要旨供述(証拠省略)、仰臥した被害者の上から着物の襟をもつて口のすぐ下で両方から上へ絞めあげたとの要旨供述(証拠省略)をなし、さらに姦淫の際、膣内射精したと述べていて、不一致があること、
ロ 強姦の決意時期につき、当初(証拠省略)は、被害者方に赴く前と述べながら、後には<証拠省略>、被害者方に到着し、約五分位対談した後と述べ、また、絞頸の決意時期及びその動機につき、当初(証拠省略)は、姦淫行為終了後に犯行の発見をおそれて絞頸したと述べながら、後には(証拠省略)、姦淫行為着手後、終了前に、被害者の反抗を抑圧すべく絞頸したと述べ、さらに絞頸方法についても、当初は、紐様物で仰臥した被害者の襟元から両手で後より首を絞めたと述べながら、後には、仰臥した被害者の上から着物の襟で首を絞めあげたと述べて、供述内容に変遷があること、
(3) しかしながら、その自白の経緯及び内容を通観すると、原告は、本件逮捕後三日目に自白を初め、その後二週間以上にわたつて自白を継続しており、その供述内容についても前記(2) の点を除き、概ね犯行現場の情況と符合し、かつ、一貫しているものであり、さらに前記のとおり、取調にあたつた警察官において、本件日本手拭は原告の所有物であるとの推認のもとに取り調べていた昭和二七年三月一〇日以前も、その以後も、原告は右所有の点を一貫して否認する等、その自白は、具体的で、事項によつて意識的に弁別してなされていること。
3 公訴提起の違法性の基準
ところで、公訴提起は、その提起時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、適法であり、検察官はかかる嫌疑が認められる場合に初めて公訴提起をなすべき職務上の注意義務を負うのであつて、右嫌疑があるとの判断につき公訴提起時における各種の証拠資料に照らして合理性が認められない場合には、公訴を提起した検察官に過失があり、その公訴提起は、違法であると解するのが相当である(最高裁判所昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決、民集三二巻七号一三六七頁参照)。
4 検察官の過失の有無
そこで、以上の公訴提起時における各証拠資料に照らして検察官に右3記載の意味の過失があるか否かについて検討するのに、まず、本件逮捕時において有力な証拠とされた本件日本手拭の罪証としての価値は減弱し、これに関する長内義昭の供述の信用性は著しく滅殺されたものの、代わつて、犯行現場に遺留された精液とABO式による原告の血液型が一致することが新たに判明したもので、これは、原告と犯行とを結びつける客観的かつ有力な証拠であると解される。なお、(証拠省略)によれば、後日に至つて、右遺留精液とS式による原告の血液型とが一致しないとの判定がなされる相当高度の可能性が生じたことが認められるけれども、当時佐藤検事が右事実を知る由もなく、また、同検事が当時S式による血液型についての認識を有していたものと認めるに足りる証拠はなく、当時の捜査官の法医学上の知識水準に照らすと、佐藤検事が当時S式による血液型について考慮を払わず、S式による血液型鑑定の嘱託を試みなかつたからといつて、捜査義務を尽していないということはできず、右の点を非難することはできない。また、原告が犯行時刻直前に犯行現場近傍にいたこと、犯行の動機となる事情その他の情況について、従前の捜査報告書に比しより信用性の高い証拠資料方式である供述調書によつて裏付されていることが明らかである。原告の前記自白については、前記のとおり供述内容と客観的証拠から認められる事実との不一致及び供述内容の変遷が認められ、その信用性については検討を要するものの、右不一致のうち、右大胸筋創傷の成因及び頸部索溝の成因に関する点は、後日に至つて、長内芳春に対する強盗殺人・強盗強姦致死被疑事件の捜査を担当した東京地方検察庁検察官の各嘱託による赤石英の昭和四一年一二月一六日付鑑定所見(証拠省略)、東京大学医学部教授上野正吉(以下「上野鑑定人」という。)の昭和四二年二月三日付鑑定所見(証拠省略)及び再審請求一審における同鑑定人の昭和四七年一二月一〇日付鑑定所見(証拠省略)の指摘によつて初めて精察を要する点として顕在化したものであつて、公訴提起時においては、赤石英の鑑定所見(証拠省略)によつて、右大胸筋創傷の成因は単に鈍体によるものとされていたものにすぎず、頸部索溝についてはその具体的成因の記載がなかつたのであるから、これによつて佐藤検事が右各創傷の成因と前記原告の自白とは矛盾するものではないと判断したとしても無理からぬところであり、しかも、別件二審における名古屋大学医学部教授吉田莞爾の昭和四五年二月八日付鑑定所見(証拠省略)によれば、原告の供述による方法によつても、右各創傷が生じないとはいえないというのであるから、結局、佐藤検事の右判断は合理性がないとはいえない。さらに、射精箇所等の点については、荻原医師の綿球による採取行為で被害者の膣内容物はすべて払拭排出され、その際膣内に精子が残留していたとしても、その精子も体外に排出されたとの可能性を全面的に否定することはできないし、原告の自白のうち膣内射精したとの右供述部分が信用できないものとしても、このことが直ちに原告の自白全体の信用性に決定的な影響を及ぼすものということもできない。なお、前記供述内容の変遷については、興奮した情況下における犯行を後に至つて再現する場合、記憶が不明瞭で、想起するところが時に前後矛盾することはありうべく、本件においても、単に、原告の記憶に不明瞭な部分があつて後刻その記憶違いを訂正したものと推定する余地がないわけではない。かくて、佐藤検事において、前記2の(三)の(1) 及び(3) の事実を重視して、原告の自白には信用性があるものと判断したことについて、経験則に違背する不合理な判断ということはできない。そして、被疑者の親族による被疑者に有利な供述は、概して信用性が低いということは、経験則であるから、原告の妻らによるいわゆるアリバイに関する供述の証拠価値を重視しなかつたとしても不合理ではない。
以上によれば、佐藤検事が、原告と遺留精液との血液型の一致、原告の自白及びその他前記情況証拠を総合勘案して、原告が前記公訴事実につき有罪と認められる嫌疑があるものと判断したことについて合理性がないということはできないから、本件公訴提起につき佐藤検事に過失があり、本件公訴提起が違法であるということはできない。
五 原一審検証施行方法等についての違法性の有無<省略>
六 原一審判決の違法性の有無
1 原一審の経緯
請求原因2の(七)の(1) の事実は、当事者間に争いがなく右争いのない事実に(証拠省略)を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
(一) 原一審裁判所は、本件について昭和二七年四月一四日から同年一二月五日まで計八回にわたつて公判を開廷して、検察官及び弁護人各申請にかかる多数の証人を取り調べたほか、赤石英作成の前記鑑定書三通を初めとする書証及び精液の付着した被害者の着衣等の証拠物を取り調べ、さらに現地に赴き三回にわたり犯行現場及びその近くの共同墓地付近の検証を行い、被告人質問をするなどの審理を行つた結果、「被告人は昭和二七年二月二五日午後七時頃、青森県東津軽郡高田村大字小舘字桜苅六四番地寡婦川村すな(明治二八年二月二一日生)方四畳半の間で、同女と対談中俄かに劣情を催し、同女に対し情交を迫つたが拒否されたため強いて同女を姦淫しようと決意し、いきなり手拳を以て同女の胸部を突き、そのため同女が倒れると同女を隣室六畳間の寝床まで抱きかかえて仰向けに倒したが、尚抵抗するので同女の頸部を着衣の襟を両手で持つて絞めたところ力余つてその場で同女を窒息死に致らせ(姦淫自体は結局所期の目的を遂げず)たものである。」との罪となるべき事実を認定し、原告を懲役一〇年に処する旨の判決を言い渡したこと、
(二) 原一審判決が右認定に供したものとして挙示した証拠は、赤石英作成の前記鑑定書三通(証拠省略)、被害者の着衣及び本件日本手拭に関する梅木巡査部長作成の領置調書二通(証拠省略)、赤石英の証言(証拠省略)、川村すなに関する除籍謄本、柴田武良らの証言及び同人ら指示による共同墓地付近の検証結果を記載した検証並びに証人尋問調書(証拠省略)、梅木巡査部長の指示による犯行現場及びその付近の検証調書(証拠省略)、毛布製上張り及び原告の昭和二七年三月八日付、同月一七日付各自白調書(いずれも強姦既遂についての供述部分を除く。(証拠省略)であつて、原一審裁判所は、主として、原告と遺留精液との血液型の一致、柴田武良らが犯行現場近くの共同墓地において、犯行時刻ころ被害者方方面から里村商店方面へ歩いて行く原告を目撃したこと、原告の自白(ただし、強姦既遂の点を除く。)によつて、前記罪となるべき事実を認定していること。
2 原一審取調証拠及びその証拠価値
請求原因2の(七)の(2) のイのうち、原一審裁判官らが該検証の結果前記柴田武良証人らによる目撃、識別は可能であると判断し、右証人らの証言を信用できるものと判断して原告有罪の主要な証拠の一つとしたこと、同ロのうち、原告が本件逮捕後二日間犯行を否認し、その後自白するに至つたが、再び否認に転じ、公訴提起後は一貫して否認していたこと、原一審裁判官らが右自白について強姦既遂の点についてのみその信用性を否定したほかは、任意性、信用性を肯定したことは、当事者間に争いがなく、この争いのない事実に、(証拠省略)を総合すると、原一審取調証拠及びその証拠価値について、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 犯行現場の遺留精液と原告のABO式による血液型とが一致することを示す証拠として、赤石英作成の前記鑑定書三通(証拠省略)及び同人の公判廷における供述(証拠省略)があるところ、右赤石は、遺留精液と原告の血液型とは一致する旨を断言し、他の血液型分類方式による不一致の可能性の示唆さえしなかつたこと、
(二) 原告が犯行時刻の前後に犯行現場の近傍にいたことを示す次の各証拠があること、
(1) 原告が犯行時刻の直前である昭和二七年二月二五日午後六時ころ里村商店でたばこを購入したことを示す証拠として証人里村セツの証言(証拠省略)があり、これは同女の捜査段階における供述と同旨の内容であること。
(2) 原告が犯行時刻の直後である昭和二七年二月二五日午後七時ころ、被害者方近くの共同墓地前路上を被害者方の方向から里村商店の方向へ歩行していたことを示す証拠として、証人柴田武良、同柴田フミ、同柴田公人、同柴田巌の各証言(証拠省略)があるところ、柴田武良証言の要旨は、昭和二七年二月二五日午後六時すぎころ、妻フミ、弟公人、巌、大八らとともに、被害者方近くの共同墓地へ、同月二一日死亡した子一昭の墓参に行き、約四〇分間墓前に供物をし、飲食をした後、同墓地前路上を被害者方の方向から歩いてくる人影を目撃したので、同行した家族に「あれは誰だ。」と尋ねたところ公人か巌が「あれは花の婿(甲野花子の夫の意。)」と答え、他の者も「そうだ。」と同調したので原告であることがわかつた、というものであり、柴田フミ証言の要旨は、昭和二七年二月二五日夕方一昭の墓参に行き、共同墓地前路上の人影があつたので武良が「あれは誰だ。」と尋ねたのに対し、弟らが「あれは花婿だ。」と答えたというものであり、柴田公人証言の要旨は、同日、一昭の墓地の所で前の路上を里村商店の方へ歩いてくる人影を目撃し、顔はよく見えなかつたが姿格好から原告であることがわかつたので、武良の「あれは誰だ。」という問に対し、「花婿ではないか。」と答えたというものであり、柴田巌証言の要旨は、同日、一昭の墓の所で原告を目撃したが、顔はわからなかつたけれども格好を見て原告とわかつたというものであつて、これらによれば、原告は犯行時刻直後に被害者方の近傍を被害者方の方向から里村商店の方向へ歩いて行つたこととなり、原告に対する嫌疑が相当高度になるものであること、そこで右時点において前記共同墓地内から同墓地前路上の通行人を目撃し、識別することが可能か否が争点となり、前記五記載の検証が施行されたこと、右検証の結果は、午後五時三六分(日没後四七分経過)-白つぽい服装、黒い服装とも人影の判別はできるが顔の判別は困難、午後五時四七分(日没後五八分経過)-白つぽい服装の判別はできるが黒い服装の判別は困難で顔の判別はできない午後六時(日没後七一分経過)-人影は全くわからず位置を確かめて注視すると白つぽい服装がようやく判別できる程度で顔の判別はできない、というものであつたこと、以上の目撃実験の結果は、柴田武良らが犯行当日における目撃時刻(昭和二七年二月二五日午後七時とすると日没後九九分経過)においても、人影の判別は困難であつたことを窺わせるものであること、しかし犯行当日は、積雪によるいわゆる雪明りがあつて、無雪期に比べると、目撃が容易であつたと考えられること及び暗所における視認能力には個人差があり、柴田武良らは平常から薄暗に慣れた生活環境下にあつたものと考えられることなど検証時に比して柴田武良らによる目撃時の方が目撃を容易にする情況下にあつたことから、右検証結果によつて前記柴田武良らの各証言の信用性を完全に否定することはできないこと、そのうえ、右各証人は、従前原告と面識があつたものであつて、原告をその容貌からでなく姿格好から判別したというのであり、しかも、各現認の際それが原告であることを右証人間で確認し合つたというのであるから、後に捜査官による誘導等の影響を受ける余地がなく、その信用性は高いものといわざるをえないこと、さらに、右証人らは、原告と利害関係等特別な関係はなく、ことさらに原告に不利な証言をすべき事情もないこと、そうすると、原一審裁判官らが、前記検証結果を考慮し、なおかつ右各証言の信用性を肯認したことをもつて、著しく経験則を逸脱したものとはいえないこと、
(三) 犯行時刻を示す証拠として前記(二)記載の目撃証言があり、これによれば該時刻は午後六時ころ以降午後七時ころ以前ということになるところ、赤石英の鑑定所見(証拠省略)及び公判廷におけるその供述(証拠省略)によれば、被害者の胃内容物の状態から食後死亡に至る経過時間は二、三時間ないし五、六時間とされたこと、そこで、被害者の夕食時刻が判明すれば死亡時刻すなわち犯行時刻の範囲も判明し、これが前記目撃証言から推認される犯行時刻と矛盾するのではないかということが原一審で争点となつたこと、被害者の夕食時刻を示す証拠として、里村タカ(証拠省略)、間山哲夫(証拠省略)、長内秀雄(証拠省略)の各証言があるところ、これらによれば被害者は犯行当日の午後四時ないし午後五時ころ里村商店で豆腐等を購入したというのであり、右赤石鑑定所見によれば、被害者の胃内から豆腐が発見されていることから、被害者は右購入した豆腐を夕食に食べたものと推認できること、また、長内義昭の証言(証拠省略)によれば、被害者は通常午後五時三〇分ないし午後七時ころ夕食をとつていたこと、しかし、以上の証拠をもつて、犯行当日被害者がいつ夕食をとつたかを確定することは困難であり、また右赤石英は公判廷において食後の胃内容物の状態の変化については個人差が大きい旨を述べているのであるから、これらの証拠によつては、被害者の死亡時刻が前記目撃証言から推認される犯行時刻の時間帯と矛盾するものとも一致するものとも断定することはできないこと、
(四) 犯行の動機に関し、甲野花子の証言(証拠省略)によれば、同女は原告と結婚後、脊椎疾患に罹患していたが、このことによつて夫婦間の性生活に影響はなかつたというのであり、また、被告人質問(証拠省略)によつても、原告は花子との性生活に不満を感じ女遊びをしたことはあるというものの、右疾患後も花子との間で性交渉はあつたというのであるから、性的な不満が本件犯行の主要動機とはいえないこと、
(五) 原告に有利な証拠として、甲野花子、乙野春子、乙野秋子(右花子の祖母)乙野二郎(証拠省略)の各証人尋問調書があり、その要旨は、原告は犯行当日午後六時ころ外出したが約一〇分ないし一五分で帰宅したというものであつて、これをもつてすると、原告には里村商店でたばこを購入した後本件犯行を行う時間的余裕はないこととなり、いわゆるアリバイが成立するものであるが、これらはいずれも同居の親族による有利な証言であつて、しかも、原告の外出時間を正確に測定したわけではなく印象に基づくものであるから、必ずしも信用性が高いものとは言えないものであること、
(六) そして、前記原告の自白調書四通については、前記四の2の(三)記載のとおり、その任意性を肯認し、その信用性については前記四の4で検討したことに加えて、前記(二)記載のとおり、犯行時刻前後に原告が被害者方近くにいるのを目撃した証人が現われ、かつ、赤石英が、公判廷において被害者の頸部索溝について具体的に原告の自白による毛布製上着の襟によつて生じうるとの供述(証拠省略)をしていること等右自白の信用性を裏付ける事情が生じたものとして原一審裁判官が右自白の信用性を肯認したこと。
3 刑事判決の違法性の基準
ところで、裁判官のなす刑事判決についても、もとより国家賠償法一条の適用が否定されるものではないが、刑事訴訟法においては自由心証主義が採用されている(同法三一八条)から、証拠の評価について裁判官により見解の差が生じ、ひいては事実の認定に相違が生じることは避けがたいところであり、刑事訴訟法はかかる事態を前提として上訴又は再審による救済の制度を設けている。したがつて、このような裁判官の職務及び裁判制度の特殊性からして、刑事判決が国家賠償法上、違法となるのは、裁判官が違法又は不当な目的をもつて、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情があるとき(最高裁判所昭和五七年三月一二日第二小法廷判決、民集三六巻三号三二九頁参照。)、又は事実認定にあたつて著しく経験則を逸脱し、通常の裁判官が合理的に判断すれば、当時の証拠資料・情況のもとでは到底そのような事実認定をしなかつたであろうと考えられるような重大な過失がある場合に限られると解するのが相当である。
4 裁判官の過失の有無
そこで以上の証拠資料を総合して右3記載の意味における裁判官の重大な過失の有無について検討するのに、原一審裁判官らが、遺留精液と原告の血液型が一致すると判断したこと及び犯行時刻の前後に原告が犯行現場の近傍にいたと判断したことについて合理性がないとはいえず、また、原告の自白の任意性を肯定し、その信用性についても通観してこれを肯認したことについても不合理であるということはできない。しかも、赤石英は原一審において被害者の頸部索溝の成因について原告の自白に沿う証言をし、前記血液型の同一性についても一致する旨明言しているのであるから、後日に至つて問題とされた被害者の創傷の成因やいずれもS式による遺留精液と原告の血液型との同一性の有無について法医学に関しては専門家ではない原一審裁判官らが思いを致さなかつたとしても無理からぬところであり、他の証拠により犯行時刻の前後に原告が犯行現場近傍にいたことが認定され、その間の原告の行動が不明であるとの情況下において、右自白につき全体として信用性を肯認し、客観的資料による裏付けのない強姦既遂の点についてのみその認定を差し控えたことが明らかであるから右創傷の成因及びS式による血液型等の点をとらえて、右自白全体の信用性を否定しなかつたことをもつて不合理ということはできない。また、以上の原一審裁判官らの判断に反する甲野花子らのいわゆるアリバイに関する証言を信用しなかつたことを非難することはできない。
したがつて、以上の証拠資料を総合勘案して、原一審裁判官らが前記罪となるべき事実を認定したことについて、著しく経験則を逸脱して合理性を欠くものというべき事情は見出せず、原一審裁判官らに重大な過失があるということはできない。また、原一審裁判官らが前記違法又は不当の目的をもつて右判決をしたと認めうるような特別な事情を肯認するに足りる証拠はない。したがつて、原一審判決が違法な判決ということはできない。
七 原二審検証施行方法等についての違法性の有無<省略>
八 鑑定人選任の違法性の有無
請求原因2の(九)のうち、原二審裁判所が赤石英を鑑定人に選任してABO式及びS式による原告の血液型の鑑定をさせたこと、赤石鑑定人は原告の血液型をA型及び分泌型と判定する旨の鑑定所見を提出したこと、原二審裁判所は右鑑定所見を証拠の一つとして控訴棄却の判決をしたこと、同鑑定人は公訴提起前である昭和二七年三月五日梅木巡査部長の嘱託によりABO式、MN式による原告の血液型をA型、N型と鑑定し、原一審裁判所は、これをその有罪判決の証拠としたことは、当事者間に争いがない。
ところで、受訴裁判所が鑑定を命じる場合、鑑定人として誰を採用するかについてはその裁量に委ねられており、鑑定事項の分野について専門の学識経験を有すると認められる者を適宜選任することができるのであつて、一見明らかにその事項について専門の学識経験を有しない者を鑑定人として選任した場合等選任について著しく裁量の範囲を逸脱して不合理な選任をなしたうえ、その鑑定所見を罪証に用いたものでない限り、受訴裁判所による鑑定人の選任自体について国家賠償法の適用につき有責となる余地はないと解するのが相当である。本件において、右鑑定人選任当時、赤石英が国立弘前医科大学の法医学担当教授であつたことは、当事者間に争いがなく、この事実によれば、赤石英は、血液型鑑定について専門の学識経験を有する者と認められる(なお、(証拠省略)によれば、鑑定人選任手続は適式に行われていることが認められる。)から、原告主張の如く赤石英が本件捜査段階において原告に不利な結果となる鑑定をなしたからといつて右鑑定人選任が違法となるとはいえず、また、他にこの鑑定人選任について不当であるとの証拠はない。したがつて、原二審裁判所の鑑定人選任について違法であるということはできない。
九 鑑定の違法性の有無
請求原因2の(10)の(1) のイ、ロのうち、赤石鑑定人が昭和二八年七月二五日当時、国立弘前医科大学(現国立弘前大学医学部の前身)の法医学担当の教授であり、同日、原二審裁判所の命令に基づき原告の唾液を被検体としてABO式、S式による血液型の鑑定をし、翌二六日、鑑定書を作成してこれを同裁判所に提出したことは、当事者間に争いがない。
ところで、鑑定人は、専門の学識経験のある者から裁判所が選任するものであるが、これは証人などと同様に証拠方法の一つであつて、鑑定人は学識経験に基づいて意見を述べるにすぎないのであり、鑑定の対象が専門的事項であるからといつて鑑定人の判断(所見)が裁判所の判断を代替する如きものでないことはいうまでもなく、鑑定を命じた裁判所は他の証拠資料と同様に鑑定の経過及び結果を理解し、検討したうえで事実認定をするのであるから、鑑定人の判断(所見)と裁判所の判断とを同視することも、鑑定人は裁判所の補助機関であると解することもできない。したがつて、鑑定人による鑑定所見の提出が国家賠償法一条にいう「公権力の行使」であるということはできず、鑑定人が同条にいう「公権力の行使に当たる公務員」に該当するということもできない。
また、赤石鑑定人は被告の被用者であることは当事者間に争いはないものの、裁判所の命令による鑑定行為は、一私人の資格において行うものであつて、それが国立医科大学教授の業務に属するものとは到底いえないから、赤石鑑定人による鑑定が民法七一五条にいわゆる「事業ノ執行ニ付キ」なされたものであるということもできない。
したがつて、赤石鑑定人の過失の有無を判断するまでもなく、鑑定の違法性を事由とする原告の主張は理由がない。
一〇 原二審判決の違法性の有無
1 原二審の経緯
請求原因2の(二)の(1) 及び(2) のイのうち、原二審裁判官らが原一、二審各検証の結果、前記目撃・識別の可能性を肯認し、前記柴田証言らを信用できるものと判断して原告有罪の主要証拠の一つとしたこと、同(2) のハのうち、原二審裁判官らが原告の自白について強姦既遂の点についてのみ信用性を否定したほかはその任意性、信用性を肯認したことは、当事者間に争いがなく、この事実に(証拠省略)を総合すると、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
(一) 原二審裁判所は、昭和二八年二月二八日以降、甲野花子、長内義昭、柴田公人、柴田武良を再度証人として取り調べ、前記七記載の検証を施行するなどして一旦弁論を終結したが、その後弁論を再開して、赤石鑑定人に対し前記八、九記載の鑑定を命じ、同人を証人として取り調べるなどして弁論を終結し、同年八月二二日控訴棄却の判決を言い渡したこと、
(二) 原二審において、(1) 原告の自白の任意性・信用性の有無、(2) 犯行時刻、(3) 遺留精液と原告の血液型の同一性、(4) 柴田武良らの目撃証言の信用性、(5) 原告のアリバイの成否、(6) 動機の有無が争点となつたところ、原二審判決は、(1) の点については、無理に取り調べられたことはない旨の原告の原一審における供述(証拠省略)、原一審における梅木良男(証拠省略)、長内義昭(証拠省略)の各証言、原告の捜査段階における各供述(証拠省略)、勾留質問における供述(証拠省略)、逮捕状(証拠省略)、赤石鑑定人の鑑定所見(証拠省略)によつて、原告は犯行自白後も捜査官の見込と相違し、事実に符合する供述をしているとの事実及び自白をしたのが逮捕から二日後であるとの事実を認定し、これらの認定事実によつてその任意性を肯認し、(2) の点については、原一、二審における柴田武良の証言(証拠省略)、電話聴取書(証拠省略)、原二審検証調書(証拠省略)、原一、二審における赤石英の各証言(証拠省略)、原一審における里村タカ(証拠省略)、間山哲夫(証拠省略)の各証言、赤石英の鑑定書(証拠省略)により、犯行時刻を午後六時五〇分ころと認定し、これと被害者の胃内容物の状態から推認できる食後死亡までの経過時間とは矛盾しないとし、(3) の点については、血液型の同一性を肯認し、(4) の点については、原一審における各検証調書(証拠省略)に照らし、柴田武良らの目撃証言に特に信を措きがたいとはいえないとし、(5) の点については、原告のアリバイに沿う証拠として、原一審における里村セツ(証拠省略)、長内義昭(証拠省略)、甲野花子(証拠省略)、乙野春子(証拠省略)、長内きゑ(証拠省略)、乙野二郎(<証拠省略)、里村隆(証拠省略)の各証言を挙示したうえ、これだけではアリバイは認められないとし、結局、原一審判決挙示の証拠から原一審判決判示事実は優に認定できると判示したこと、
2 原二審取調証拠及びその証拠価値
前記1記載のとおり、原二審裁判官らが判断の基礎とした資料は、原一審における取調証拠のほか、原二審において新たに取り調べた共同墓地付近における検証調書(証拠省略)、赤石鑑定人の証言(証拠省略)、原告の唾液の血液型鑑定所見(証拠省略)、原告の公判廷における供述、甲野花子(証拠省略)、長内義昭(証拠省略)、柴田公人(証拠省略)、柴田武良(証拠省略)の各証言等であるところ、原告の公判廷における供述及び後四者の各証言は、いずれも原一審における供述内容と同旨のものであるから、原二審検証、赤石鑑定人の証言及び鑑定所見について検討するのに、(証拠省略)によれば、右各証拠の証拠価値について、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 原二審における検証 原二審検証は前記七記載の時期・方法によつて施行されたものであるところ、右検証当日の日没時刻は午後六時三分であつて、右検証の結果は、共同墓地内から約一五m離れた同墓地前路上の通行人の目撃状況について、午後六時四〇分(日没後三七分経過)-顔の識別不能、姿、服装等の識別はでき、何人かの判別は可能、午後六時五二分(日没後四九分経過)-顔の識別不能、数名中の一名についてのみ何人かの判別可能、午後七時(日没後五七分経過)-帽子の有無の識別はでき、数名中の一名についてのみ何人かの判別可能、共同墓地内から約一五m離れた同墓地内積雪上の歩行者の目撃状況について、午後六時五〇分(日没後四七分経過)-姿、顔の識別不能、姿、服装の識別はでき、何人かの判別可能、午後六時五五分(日没後五二分経過)-姿、服装により何人かの判別可能、午後七時二分(日没後五九分経過)-服装の一部を識別可能、何人かの判別は可能、というものであり、以上を要するに、積雪のある情況では、日没後五九分経過した時刻において共同墓地内から同墓地前路上の通行人を目撃し、何人かを判別することは可能であるといえるが、原一、二審判決の認定及び原一、二審における柴田武良らの証言におけるその目撃時刻は午後六時五〇分ないし午後七時ころであつて、これは日没後八九分ないし九九分経過した時刻であるから、右検証結果をもつて犯行当日の右時刻における目撃、識別の可能性を直接裏付けるものと評価することはできないこと、
(二) 赤石鑑定人の証言 原二審における赤石鑑定人の証言(証拠省略)の要旨は、(1) 犯行現場に遺留された精液についてのABO式、S式による血液型は、A型、分泌型である(2) 被害者の胃内容物の状態から推して食後死亡までの経過時間は、二、三時間ないし五、六時間である(3) 被害者の頸部索溝の成因として、犯行現場に存した物のうち、毛布製上着の襟によつて絞められた結果生じた可能性が最も高い、というものであり、(2) 、(3) の点は、同人の原一審における証言(証拠省略)と同旨であり、より具体的な説明を加えたものであつて、その信用性は高度になつたということができ、(1) の点は、新たに遺留精液のS式による血液型の鑑定所見が述べられ、これと原告のS式による血液型を対照すれば、事実認定につきより正確性を期することが可能となるべきものであつたこと、なお、遺留精液のS式による血液型については、後日に至つて、別件二審における吉田鑑定人の鑑定所見(証拠省略)、再審請求二審における赤石鑑定人の証言(証拠省略)、本件再審における東京大学医学部教授三木敏行の鑑定所見(証拠省略)によつてこれを分泌型と断定することに疑問所見が提出されたものの、原二審当時においては、前記赤石鑑定人の証言が遺留精液についてのS式による血液型に関する唯一の証拠であつて、その証言とおり分泌型であると認識されていたこと、
(三) 原告の唾液を被検体とする血液型の鑑定 赤石鑑定人は、前記八、九記載のとおり原二審において原告の唾液を被検体としてその血液型の鑑定を命じられ、ABO式、S式による原告の血液型はA型、分泌型であるとの鑑定所見(証拠省略)を提出し、これによつて前記(二)記載の証言とあいまつて、遺留精液からする血液型と原告の血液型とは、ABO式、S式のいずれによつても一致することを示す証拠となつたこと、ところが、後に別件一審を担当した東京地方検察庁検察官の嘱託による上野正吉鑑定人の鑑定所見(証拠省略)、別件二審における吉田鑑定人の鑑定所見(証拠省略)等によつて、S式による原告の血液型は非分泌型であると断定されたうえ、右赤石鑑定人の鑑定所見の誤りを指摘されたこと、すなわち、S式血液型とは、血液型物質の唾液、精液等の血液以外の体液における濃度による分類であつて、体液中の血液型物質の濃度が高いものを分泌型、体液中に血液型物質が検出しえないかきわめて濃度の低いものを非分泌型と称するものであるが、この血液型物質の性状は、遺伝的に決定され、年齢等による有意的変化はないものであること、ところで、赤石英は、右S式血液型の判定にあたつて通常行なわれている凝集阻止試験を用いたものであるが、その試験方法は、原告の唾液四ccを遠心分離し、その上澄を生理的食塩水で倍数稀釈し、これを〇・三ccずつ一系列一五本の試験管に入れ、それに凝集素価共に二五六倍のO型人血清の二〇倍稀釈液(凝集素価一二・八倍)を〇・三ccずつ加え、充分に振盪混和させた後、孵卵器で二時間、常温に二時間各静置した後、二列の連続ホール硝子に一滴ずつ滴下し、さらにその一方に一%A型血球浮遊液を一滴ずつ、他の系列に一%B型血球浮遊液を一滴ずつ滴下した後、常温に三〇分間放置してから各系列における凝集反応を観察するというものであり、その結果原告の唾液は凝集素価一二・八倍の抗A血清に対し四〇九六倍まで凝集阻止し、同凝集素価の抗B血清に対し全く凝集阻止しないという試験成績を得たというのであり、これは明らかに分泌型の特徴を示すものであつたこと、ところが、前記上野鑑定人及び吉田鑑定人の各鑑定所見によれば、右記載方法による凝集阻止試験によつては、右のような試験成績を得ることはあり得ないというのであつて、右凝集阻止試験の過程に何らかの過誤があつたことが窺え、前記赤石鑑定人の鑑定所見の信用性に重大な疑問が提出され、ひいて遺留精液を被検体とする血液型と原告の血液型とは、S式による血液型の分類上では一致しない蓋然性が生じ、原告と犯行との結びつきについて疑問が生じたこと。
3 裁判官の過失の有無
そこで、原二審判決当時の証拠資料を総合して前記六の3記載の意味における裁判官の重大な過失の有無について検討するのに、まず、原二審における取調証拠を総合すると、原二審における検証の結果は、柴田武良らの目撃証言の信用性をさらに高めるものではないが、さりとてこれを減殺ないし否定するものではなく、赤石鑑定人の証言により被害者の頸部索溝の成因について、より具体的に原告の供述する方法と合致すること、同証言及び赤石鑑定人の鑑定により遺留精液を被検体とする血液型と原告の血液型とはABO式ばかりでなくS式においても一致することが証拠上明らかとなつたものであり、原二審裁判官らが、これらの事実をもつて原告の自白の信用性、遺留精液を被検体とする血液型と原告の血液型との一致を裏付けるものと判断したことを不合理であるということはできない。もつとも前記のとおり、被害者の頸部索溝の成因、原告及び遺留精液のS式による血液型については疑問を提出されているものの、これらの疑問は、後日に至つて新たな鑑定がなされた結果顕現化したものであつて、血液型鑑定等のように高度に科学的、専門的事項についての鑑定に関しては、専門的知識を有しない裁判官としては、鑑定の経過及び結果の正確性ないし妥当性を前提として判断の資料に供することが許されるのであつて、一見して明白な瑕疵があるなどその鑑定の経過及び結果を信用するに足りないような特別の事情のある場合を除いて、これを信用して事実認定をなした場合、その鑑定所見に誤りがあつてそのために事実誤認を生じたものとしても、その事実認定に経験則の著しい逸脱があつて不合理であるということはできない。本件の場合、前記赤石鑑定人の証言及び鑑定所見について、右特別の事情は見出せず、殊に血液型の鑑定において前記鑑定記載の凝集阻止試験の成績は明らかに分泌型の特徴を示し、右試験成績の正確性ないし妥当性を疑うべき事情は存しなかつたのであるから(赤石鑑定人が捜査段階において原告の血液型の鑑定をしたことは、当事者間に争いがなく、同人が本件鑑定前に原告のABO式による血液型を知つていたことが認められ、このことはS式による血液型鑑定にとつて好ましいとはいえない一面もあるものの、この点をもつて直ちに前記鑑定所見を信用できない特別の事情ということはできない。)、原二審裁判官らの前記判断を不合理なものということはできない。
そして、原一審取調証拠については、前記六説示のとおり、これらの証拠から原告の自白の任意性・信用性、柴田武良らの目撃証言の信用性を肯定し、原告の否認供述、甲野花子らのいわゆるアリバイに関する証言に信を置かずに前記罪となるべき事実を認定したことについて合理性がないとはいえないし、原二審における新たな取調証拠を考慮すると、原告に対する嫌疑が高まることはあつても、これを減殺すべき事情は見出し難いので、以上の各証拠により、原二審裁判官らが、原一審判決を支持して控訴棄却の判決をしたことについて著しく経験則を逸脱して合理性を欠くものであるということはできないから、原二審裁判官らに重大な過失があるということはできない。また、原二審裁判官らが前記違法又は不当の目的をもつて右判決をしたと認めうるような特別な事情を肯認するに足りる証拠はない。したがつて、原二審判決が違法な判決であるということはできない。
(なお、原告が再審請求一審決定の違法性をも主張するやに解される主張部分もあるので付言するのに、原告主張の損害は、原告主張による原二審判決に至るまでの被告の各機関の各行為によつて生じ得べきものであつて、再審請求一審において再審請求棄却の決定がなされたからといつて、これと右損害との間にいわゆる相当因果関係は認められず、右決定の違法性の有無を論ずるまでもなく、これを事由とする原告の主張は理由がない。)
第三結論
以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 薦田茂正 中野哲弘 根本渉)